金環食と待ち人来る

ふぅ・・・ようやくあと1週間分で現実に追いつくところまで書き進めて来た・・・
という訳で今日は21日月曜日。そう金環日食の日です。
この金環日食ですが俺が中学で天文部に所属していた頃に44歳になったら観られると思ったのが最初だと思います。あれから約30年待ちに待った日食です。
前回の皆既日食は関東地方では観ることが出来ませんでしたが、大騒ぎせずに今日の日を待った方が良いとはこのブログの記事にも書いた記憶があります。
今回はそういう意味では大騒ぎしても良い訳ですw
朝方なので徹夜で観測体制を整えます。金環日食では皆既食のように真っ暗になることはありませんが、晴天ならば青空の中9割以上の光が遮られる訳です。
もっとも太陽の明るさは満月の15万倍以上ですから5%の明るさでも十分に明るいです。でもですよ・・・金星が太陽の近くにあるので昼間の金星を観測することも可能なはず・・・これも期待していたんですよねぇ・・・
しか~し、座間地方は午前5時の食始まり前に少し太陽が顔を出したきりで厚い雲に覆われます。
菅中天文部伝統の晴れのおまじないを天に向けて唱えるも一向に太陽は顔を見せません。
そして、ついに金環状態に突入の時刻。太陽がどこにあるかさえ分かりません。座間周辺は中央帯に限りなく近いので金環状態は約5分あります。
もう駄目だ・・・と思った金環終了30秒前。奇跡的に雲が切れます。ママは匠太にサングラスを取るように言い、俺はカメラを慌ててセット。
わずか5秒ほどしか見えませんでした。でも、ちゃんと見えたからラッキーでしたかね?
その後、写真も何枚かは撮れましたが一番食分が大きかったのは金輪から10分後の47分に撮影したこの写真ですかね?
nissyoku.jpg
まぁ、天体写真をちゃんと試みるもの約30年ぶりですからね。出来については勘弁してもらいましょう。
匠太は日食のため学校が1時間遅れだったのですがこの頃に登校班に合流するため家を出ます。
午前中にママと一緒に買い物を済ませて午後は数時間仮眠を取りました。
そして夕食後のちょっとまったりとした時間に電話が鳴ります。
去年の震災で連絡が取れなくなっていた俺のビリヤードの師匠からの電話でした。航空写真を見ると自宅は津波で全壊。避難所の名簿を片っ端から当たるも名前は見つからず・・・
正直な話、もう駄目だと思っていたんですが・・・
万が一の可能性があるとすればご無事で避難所ではなく息子さんか娘さんの家に避難している可能性に掛けるくらいだったのですが、残念ながらお子さんがどこにお住まいかは聞いてませんでした。
電話で聞く懐かしい声。やはり家は全壊してしまったそうですが、息子さんのところに避難し現在は仮設に入居されているとのことでした。親父も心配していたので早速、電話を回します。
金環食にしても師匠にしても待ってみるって大事なことですね。
今日はママと遅くまで祝い酒と・・・

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