親切心

今日はPC教室への新規入校希望の方へのガイダンス。その後、出張の予定だったんですがクライアントの
都合により中止。思わず時間が出来たのでITパスポートの授業編成を見直しと…
夜はセブンに入って常連さんと10ボールのセットマッチを4回ほど。マスワリも出ましたし中盤はそれこそ
「ゾーン」に入ったか?と思えるほど良かったんですが、終盤はちょっと息切れの感じでしたね。
話しはがらりと変わりまして…
俺は基本的に揉め事は嫌いです。まぁ、世の中変わった人もいて揉め事が好きな人というのもいるよう
ですが、普通は嫌いですよね?
で、多くの場合はお互いの主義主張が合わないところから揉める訳です。どちらが良い悪いではなく、
どちらも自分が正しいと思っているからややこしいんですよね。
もちろん譲れない線というのはあるんでしょうが、お互いに譲り合いや少しづつの我慢で済むことだって
たくさんあるはずなんですよね。そうしないと何でもかんでも契約がどうのなんて話しになる訳です。
俺はいつも思うんですけどね。人にした親切ってのは忘れることにしてます。なぜか?見返りを求める
ために親切にした訳ではないからです。その人に良かれとそのときにした行為はあげたも同然です。
覚えていると「あのときあんなに親切にしてやったのに」と何かあったときに残念な気持ちになりますが、
忘れてしまっていればそんなこともありません。
日本には欧米のGive and Takeと言う考え方は似つかわしくないと思っています。Give and Giveである
べきだと思ってます。そして過去にした自分の親切だと思う行為を相手に披見した瞬間にそれは暗に
見返りを要求したこととなり親切じゃなくなっちゃうんじゃないかと思うんですよ。
じゃあ何も自分は得をしないじゃないか?そう、親切を損得勘定でやっちゃいけないんです。何も得など
ないのかもしれません。でも、損得はなくても人としての徳を積むことになると思ってます。徳のある人は
信頼されます。信用や信頼は一朝一夕の付け焼刃で得られるものではありません。
逆に人に親切にして貰ったことは決して忘れません。感謝しその人のために機会があれば労を厭わない
つもりでいます。
物事は一歩引いて俯瞰して見れば色々なものが見えたりするものです。近視眼的に自己主張だけを
行えば結局自分が損をすることになることが多いというのは経験上のことですけどね。
結局は人はひとりでは生きられないってことです。それならば身近に敵を作るより、味方を作る工夫を
することが大事なんじゃないですかね?味方を作る…信頼されるってことでしょうか?
俺はどうなんだろ?まだまだだなぁ…

スポンサーリンク




フォローする


スポンサーリンク