名前

今日はPCの授業もなく雑務が多少あるものの比較的のんびりとした午後・・・久しぶりかも?自分のペースで仕事が出来るのって・・・
ポツポツと集まりだしたレポートの採点なんかをしながら、気晴らしにコーヒー飲んでネットニュース見たり・・・
ってあまりニュースの話題を取り上げることはないんですが、ちょっと気になったので・・・
小学校の交ぜ書きについての記事が出てました。今の小学校では習っていない漢字は自分の名前であってもひらがな表記するように指導されるそうです。まぁ、確かに匠太も「ふく田しょう太」って書いてます。
まぁ、小学校1年生のときには良いと思います。クラスのみんなが読める訳ではないですからね。でも、2年生以降には書ける子は自分の名前を漢字で書くようにした方が良いと思うんですよね。
確か小1のときに匠太が先生に言われたこととして「落し物をして誰のだか分からないと困るから」という話でした。そのときは「そんなもんかな?」と思ったんですが、考えてみればフリガナを振れば解決することですよね?
確かに読み難い名前の子供が増えているとは思います。でも、それは親が一生懸命考えて漢字1文字づつに思いを込めて付けた名前のはずです。そう漢字にはひらがなにはない意味があるんです。
匠太は職人を現す「匠」と言う字と俺の太志から1文字を取って「匠太」と名付けました。これからの時代なにかのプロとして技を極めて欲しいとの願いから付けた名前です。
匠太にはそう話していますし、自分の名前の由来や意味などもきちんと説明することが出来ます。多分、理解力の違いはあっても多くの子供たちがそうなのではないかと思う訳です。
ならば、子供たち自身が名前の意味、漢字の持つ意味を教え合う環境を用意してあげるのが学校の役割なんじゃないですかね?教えたことしかやってはいけない、使ってはいけないでは知識の幅は小さくなり、子供はその使い分けの為に大人の顔色を見るようになります。
「僕、自分の名前を漢字で書けるようになったんだよ」
得意気に話す子供に「習ってない漢字はダメ」という子供の心を踏み躙るような事を言えるというのは、ある意味すごいです。俺には絶対出来ません。
まぁ、立場は違えど俺も大学で教壇に立つ身ですからね。十分に気を付けないといけないと思う訳です。
例えば人数の比較的少ない授業では俺は出来るだけ出席を名前を呼んで取ることにしています。たまに遅刻して来た学生なんかが学籍番号で知らせて来たりします。
同姓同名がいればそれも仕方ないですが、番号で呼ばれるもしくは自分を表されることに慣れてしまっているんでしょうかね?だから俺はそんなときには必ず・・・
「学籍番号はいいよ。名前は?」
って聞くようにしてます。名前は単なる個人を識別するための符丁ではないはずなんです。もっと大事にしないといけないと思うんですよねぇ・・・
さて、日常の日記に戻りましょうか・・・
夜はセブンに入ります。今日は金曜日ということもあって入れ替わり立ち代りで常連さんのお相手をしてました。ゲームはいつものようにナインボールとテンボールのセットマッチ。
ちょっと目が霞むんですが、老眼が進行しているんだろうか?まぁ、それでもキャリアという武器で勘でなんとか入りますけどねwww
あっ!いい加減タップ換えなきゃ・・・

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