2019年振り返り(家族)

早いところ更新をしないと今年が終わってしまうw

ってな訳で家族をテーマに今年を振り返ってみたいと思います。まぁ、家族ということで言えば母が6月に亡くなったことが最大のトピックですが、詳細はすでに4回に渡って書いたので良いでしょう。一応ブログカード張っておきます。

昨日は母が亡くなったところまでを書きましたので、今日はその続きです。 父と一緒に母の呼吸が止まったことを確認し、俺はドクター、看護師さん、ママ、弟たちに連絡をします。 夜中ではありましたが、ドクターが死亡を確認しその時の時間が正式な母の死亡時刻として死亡診断書に記載されました...
昨日は母に病状を父が告知するところまでを書きました。今日はその後についてです。 母もなんとなく気付いてはいたのでしょうが、実際に告知をされると不安や恐怖があったのだと思います。ただ、母の望みをできる限り聞くことができる機会ができたのは母も我々家族も良かったのではないかと思います。 ...
昨日は母に治療の方法がなく余命半年以内との告知を受けたところまでを書きました。今日はその後について書いて行こうと思います。 父と話した結果、母には余命のことは告げず2回目の抗がん剤治療が延期になったので一度帰宅して症状が落ち着いたら通院で治療を継続すると母には話をすることにしました...
久しぶりの「今日のどう?」更新ですねw セブンを閉店してからプライベートな事はSNSで発言することが多くブログの更新は基本的にビリヤードの活動日記みたいになってましたからね。 ただ、今年はあまりにいろいろなことがあったので少し整理して書き残して置きたいと思った訳です。今日は一...

それ以外でも色々とありました。

まずは息子たち2人のダブル進学ですね。匠太は念願かなって中1の頃から目指していた県立高校に無事合格し入学を果たしました。中3の1学期に成績を落としたので心配しましたが夏休みから巻き返して内申点の評価対象となる2学期の成績をしっかり上げることもできました。夏期講習など数回の短期講習での通塾はありましたが基本的に塾なしでの受験だったのでママがネットで資料を調べまくり俺が応援するという感じの受験でしたねw県立高校共通の入試や特色検査(一部の高校が実施する独自試験)は想定から少し低くなってしまったので合格発表まではドキドキでしたね。入学してからは受験から解放されて少しはのんびり出来るかと思っていたんですが、進学校では許してくれないみたいです。受験生の時より毎日勉強してますね。付属に入ってのほほ~んと野球やってた俺には無理ですねwww

優輝は幼稚園を卒業します。また、亡くなった方の話しになっちゃいますが、匠太と優輝の卒園した幼稚園の園長先生が優輝の卒園式の翌日に亡くなりました。個性的で幼児期の一番大事な人間形成の元とも思える部分をしっかりサポートしてくれたと思います。優輝は先代の園長先生最後の卒園生となりました。

そして、小学校に入学。匠太と同じ公立の小学校です。違うのは匠太の時に再三の要望にも関わらず中々許可されなかった通学路が最初から認められたことですかね?匠太のときに認めているので前例があるとあっさり許可されるものですなんですよねw

二人の入学式は同日でした。で、優輝の入学式はママが行きます。匠太は高校生だから行かなくても良いか。と言うとさにあらず…案内には保護者が必ず参加するようにあります。それは、役員決めがあるからwww保護者が行かずに役員が決まらなかった場合に勝手に役員にされたり等と言う例があるとかないとか…ママから「高校は一度なると3年間役員だから絶対に引き受けるな」という至上命令を受けて匠太の入学式には俺が行くことになりました。無事に役員を回避し教室で保護者向けの説明があるとのことで自分の子供の席に座らされたんですが、お父さんで座っているのは俺だけw他のお父さんはお母さんも一緒なので座っているのはお母さんな訳です。ずらっと後ろにお父さん。席に座るのはみんなお母さんで俺だけお父さんというなんともシュールな感じになってましたね。

二人ともにぐっと大きくなりました。匠太は身長が180cmを越えて俺も見上げて話をするようになってしまいました。優輝はまだまだ小さいですがドラえもんよりは大きくなりました。クラスでは2番目に背が高いらしいですが2月生まれを考慮すると結構高い方だと思います。

悲しい別れもありましたが、母のおかげで兄弟や姪、甥たちと頻繁に会えたのは嬉しかったですね。おじさん、おばさん、従弟などたくさんの親戚に会えたのも母のお陰です。

親父は母の介護を通して少し丸くなったかもしれません。今まで何でも母に頼り切りで洗濯どころか自分のシャツの場所も分からなかったのに今では炊事、洗濯、ゴミ出し、ペットの餌やりから犬の散歩、畑の管理まで全部ひとりでやってます。きっと寂しいのだとは思いますが、それを口にする人ではないのでそっとしています。人に負けないことだけを信条として来た人ですが少し優しさを覚えたかもしれません。

そして、ママはずっとママでした。時に母の介護を支える嫁であり、時に息子たちの成長を見守る母であり、時にだらしなく頼りない夫の妻であり …その時々の苦労があるはずです。それでもママがママで居てくれることが何より俺には嬉しかったし安心出来ましたね。

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