今日俺が死んだら

重たいテーマですが、さらっと行きましょうw
俺も歳ですかね?最近、ちょっとばかり死ぬってことを考える機会が多くなりました。まぁ、今年に入って親戚が二人亡くなったりしているのでその辺も考えるきっかけになってますかね?
で、今から書くのは現時点での俺の生死感です。誰にも強制するつもりもなければ共感されなくても全然構いません。逆に誰からの説得を受けるものでもありませんのであしからず・・・
まず最初に死ぬのが怖いか?今は怖くないですね。仮に今日死んだとしても俺自身は構いません。ただ、両親の息子であり、ママの夫であり、二人の子供の父であり、会社の社長であり、大学の講師である。と言う現在の立場を全部強制的に放棄しないといけない訳ですから、当然残された人への影響はあるでしょうけどね。まぁ、俺は死んじゃってるんで何も出来ませんがwww
死んだらどうなるか?俺はどうもならんのじゃないかなぁ?と思ってます。今日もこの後に寝ます。深く夢も見ない時間帯の眠りがあります。まぁ、それが永遠に続くだけだろうと思ってます。
すなわち、死後の世界も生まれ変わりも俺は信じてません。宗教的な話になると色々と各所からややこしいツッコミがありそうなので、あまり触れたくないんですが、神は居ても良いと思ってます。そして、誰がどの神を信じようと勝手だとも思ってます。
見えない神秘的な力を信じ、感謝の念を捧げる事は何が対象であれ大事な事だと思います。それを神と呼ぶのであれば必要だし居るでしょう。
既存の宗教を否定する気も批判する気もないのでその辺は誤解なきよう・・・
まぁ、そもそも死ぬってどういうことかって定義も曖昧だったりしますよね。現在の定義で考えれば全ての生体活動が停止した状態で再び活動しない状態って事になりますかね?
ただ、これって個体の死ですよね?俺のDNAの約半分は息子達に引き継がれた訳です。俺の細胞の一部が分裂して構成されていると考えれば俺の個体が役割を終えただけです。
俺の生きているうちには無理でしょうが、将来人の脳を完全にメモリ等に記録する事が可能になり、それを再生、再構成する事が可能になったとしたら肉体がないだけで俺の意思は残るんでしょうかね?そして、それは俺なんでしょうかね?
どうだっていいかw
俺の葬式は俺は見られない訳で、誰が来てくれるのかなぁ?とか、想像するのは結構楽しいですね。まぁ、大抵の場合は想像と違っているでしょうけどね。その違いを自分で検証出来ないのはちょっと残念かな?
今、俺が死んだら・・・
数日間は知り合いが俺の事を思い出してくれるでしょう。
数年間は友人や親戚が思い出してくれるでしょう。
数十年間はママや子供達が思い出してくれるでしょう。
50年後は?子供達だけでしょう。
100年後は?子供から話を聞いた孫やひ孫達が何かの拍子に知りたがるかもしれません。
そして、いつの日か完全に誰からも話題にされなくなる日が来るでしょう。そこが俺の本当の死かもしれません。
だから、ママは二人の子供をしっかり頼みます。匠太はママを助けて優輝にパパの話しをいっぱいしてあげてください。そして優輝はパパとの記憶はないだろうけど一杯愛していた事は知っていてください。
まだ、死ぬ気も予定もないけど、言いそびれたら嫌だしねwww

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