今日はPCの授業が2コマに続いて、飛び込みのガイダンス。早速、ご入校が決定して明日から授業を開始することになりました。
ってな感じで昼間はずっとPCの授業をしてました。まぁ、正常な状態と言えば正常な状態な訳ですが・・・
木曜日のセブンは暇。昼間とは打って変わってビリヤードの仕事は全然なし。まぁ、明日は大学でガイダンスの予定なんですが、はじめての内容なんで資料を作成したり、覚えたりするには丁度良かったですけどね。
さて、久しぶりに変なこと書きましょうかね?
多くの人は自分が正しいと信じ、それに基づき行動していると思う訳です。真実がひとつであれば皆同じ方向を向く訳ですから物事は全て円滑に動く訳です。
でも、実際の社会ではそうではないですよね?理由は多分・・・真実はひとつではないからだと思うんですよ。別の言い方をしましょうか。自分は正しい、君は俺とは考えが違う、だから君は間違いだ。
この論法で危険なのは唯一自分が正しいと思っていることですね。それが悪いとは言いません。正しいことを行うことは大事なことです。そして大事なことと言うのも人によって違うものなんですよね。
今は情報が玉石混合であふれている時代です。インターネットを使って自分の考えに近い考えだけを集めて理論武装している人も多くいます。でも、俺は思う訳です・・・人は嫌なことを避ける・・・
すなわち自分の考えに沿った意見は尊重するけれども、それに対する反論に関しては無視するか、軽視する傾向にある訳です。もっと言えばあら捜しをして相手を凹まそうとする訳です。誰だって面と向かって反論されて面白い訳ないですからね。
俺は地球は丸いと思ってますし、太陽の周囲を回り、自転し、月を衛星として従えていると思ってます。
なにを当たり前のことを・・・と思うかもしれませんが、世界にはまだまだ天動説を固く信じている人々もいるんです。彼らにどんなに科学的な説明をしようとそれを受け入れることは稀です。これは未開の地で起こっていることではありません。先進国できちんと大学まで教育を受けた人の中にもたくさんいると言われてます。
俺は4月23日が誕生日です。でも、それを証明することは出来ません。両親に小さいときからそう聞かされていたに過ぎず、戸籍にもそのように記録されているというだけで自分で確かめた訳ではないんです。でも、多分昭和43年4月23日に俺はこの世に生まれたんだと思います。
なぜなら両親が戸籍まで偽って俺に嘘の誕生日を教える理由がないと思うからです。ただ、これは俺がそう思っているだけで実際には両親が壮大な嘘を40年以上ついていない保証はないんです。
実際にうちの親父は中学卒業までずっと10日生まれと聞かされていて自分でもそう思っていたそうですが、戸籍上は8日になっていたそうです。どちらが正しいのか祖父母に問い質したところ・・・
「古い話しでどっちだか忘れた。確か10日だと思うんだけど、戸籍に8日とあるなら8日かもしれん」
と言うことで真相ははっきりせず、結局面倒なので戸籍に合わせてそれ以降は8日を誕生日とすることにしたそうです。もちろん、現在の親父の免許証も8日の日付が出生日になってます。
で、何が言いたいのかと言いますと・・・
どんなに真実だと思われる事象であっても、違っているということは常にある訳です。それに気付いたときに修正するのか、変えるのか、変えないのかは各人の自由です。どれが良くてどれが悪い訳ではないと思います。ただ、それを批判することは良くないのかな?とは思います。
自分が信じる正しい事と同じように他人は別の正しい事を信じている事だってある訳です。それでも自分だけが正しいと思っている人・・・そういう人を世の中的には自分勝手と呼ぶんでしょうね・・・
誰か身近に居たな・・・あっ!親父かwww